ユスティニアヌス朝 東ローマ(ビザンツ)帝国
ユスティニアヌス朝最大版図
上は、ユスティニアヌス1世が崩御する直前の565年のビザンツ帝国の版図である。首都圏であるエーゲ海を中心に、地中海全域に帝国が拡大している。
首都圏
ビザンツの首都圏であるエーゲ地方は、帝国の中心地であり、「文明の十字路」とも言われたため、多くの民族が行き交い、ギリシア系文化も花開いた。帝都コンスタンティノープルのほか、ラテン帝国打倒後に成立したニカイア帝国の由来、ニカイア市、現在はエディルネと呼ばれているアドリアノープルやテッサロニキ、アテネなど、有名な都市が多い。ビザンツはトルコにあった国であると言われることが多いが、実際はエーゲ海西側の方が発展しており、トルコというよりも、文化的にも、経済的にも、ギリシアの国と言ったほうが正しい。
イタリア半島
イタリア半島は、ビザンツの前身であるローマ帝国の本拠地であり、その奪還は歴代皇帝が皆目指してきた。しかしこの時代はローマはひどく荒廃しており、奪還による経済的意味は薄いと言えよう。この時代は、ローマよりもヴェネツィアなどの方が発展しており、ヴェネツィアはこの頃よりビザンツの自治領という建前のヴェネツィア共和国を形成していく。
近東地方
近東には、現在はもうない大都市アンティオキアや、聖都イェルサレムなどがある。さらに、南方にはかつてのプトレマイオス朝の王都であったアレクサンドリアもあり、帝国にとってこの地方は経済的な面において重要であったに違いないであろう。また、この地方は、さらに東方にいる遊牧民への前線としても機能しており、イスラームによる占領まで、コンスタンティノープルを守るための超重要地域として重宝されていた。
西地中海地方
西地中海は、かつてはローマ帝国と激しく戦ったフェニキア人の末裔であるカルタゴが存在していたが、ローマ帝国の衰退とともに消滅していき、ヒスパニアも含めて、はるか西方の辺境という見方しかなかった。